THIRTY THREE RECORD

創作への雑考 pt.25

Date : 2017.01.10 / Author:吉川 工

俺の記憶をつなげて変換すると、互いの未来はどうなるのか?
現代における、ダダイズム、シュールレアリスムの在り方とは、
唯、破壊、理性の否定、そして再構築を行うだけのもので良いのか?

主義というのは明確な意思の提示であって、
それは技法に関する話しではない。
技法とは、本来、隠されていなければならない。
それを主義や、スタイル(指向性の表れた姿勢)だと思うから、
お前達は、何でもカテゴライズしようとするのだ。
作品は決して商品ではない。
創作とは産業ではないのだ。
いいか、俺は俺であって、何人も俺になる事はできない。
俺がこうだというものが本当にそうであるのかどうかなど、
誰にも分かりえない。
だが、例えそうだとしても構わない。
お前は俺を否定しろ。
それに対し、俺が抗議する。
戦いによって流される言葉の血液が俺達の何かを築きあげる。
ここに闘争の意義がある。

ダダイズム、シュールレアリスムは反抗の証である。
反抗は、少数から発生し、意思の賛成、賛同を獲得し、
多数派となっていく革命の流転のように、生まれ、熱をおび、
やがて衰退し、新たな反抗を生む。
しかし、俺は何かに対する反抗を表す事に
創作の重きを置いているわけではない。
俺が壊したいのは常に俺だ。
俺が俺を破壊する時に生じる爆風が、飛び散る破片が
お前を襲う事になったとしても、それは仕方のない事だ。
俺は弾け飛ぶ俺の欠片が、誰かを傷付けないように爆発するというような、
本来の意思を喪失するような事はしない。

少数派を語りながら、何かに属そうとしているお前、そこのお前だ。
指を指した方向には俺がいる。
俺の自爆で飛び散った破片に、お前は被弾する。



                                                      

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