THIRTY THREE RECORD

創作への雑考 pt.27

Date : 2017.01.24 / Author:吉川 工

前回、僕は「もしかしたらこの世には時間という
明確な何かが存在するのかも知れない」
と思うようになった事についてお話しました。
今回、その話の続きをする前に、何故僕が、
時間なんてものは人間の概念でしかない
と考えるようになったのかについてお話させて頂きます。

遡る事10年程前、僕はタバコの煙を空にむかって吐き出していた時、
ある考えが閃きました。
「もしも、今、俺がタイムスリップして過去に戻ったら、
俺の吐き出した煙はどうなるんだろう。」

この物質世界にある全ては因果関係によってつながっています。
バタフライエフェクト
(遠く離れたある地点で蝶が羽を羽ばたかせた時、
ほんの少しの風圧が連鎖して行き、やがて大きな風になる
という物事の因果関係を表す例え)
という言葉があるように、僕の行う全てはこの世界に影響を及ぼします。
ならば、自分が過去に戻る時、自分が及ぼした因果関係も戻らなければ、
矛盾が生じてしまうのではないか、もしそうであるのならば、
何か一つのものがタイムスリップするという事は、
因果関係上にある全てのものが(つまり森羅万象)戻らなければ
成立しえないのではないかと思ったのです。
この時の僕は量子の動きとは不規則で、
空間(時間)を超えて瞬間移動したり、
同時に存在したりしているなんて事は知らなかったので、
タイムスリップは不可能だと思いました。

それから僕は瞬間について調べるようになりました。
数冊でしかありませんが、いくつかの本を読んでも、
ワームホールや光速移動による未来へのタイムスリップばかりで、
過去へのタイムスリップについては記されていませんでした。
ワームホールによるタイムスリップは、
空間に穴をあけワームホールを出現させ、
本来かかる時間を短縮させて移動するというもの。
光速移動によるタイムスリップは物質を光速移動させる事で、
その物質の時間をストップさせ、
その間にその物質以外の時間は過ぎてしまい、
未来へタイムスリップした事になるというものでした。
(ここでの時間とは物質的な運動、働きです。)
やはり時間というものは概念であって、あるのは空間と運動なんだ。
そう思うようになったのです。

僕はデジャブをよく見ます。
それも、この映像はどこかで見た事がある、
と一瞬よぎるようなものではなく、
頭の中でデジャヴの映像が短編映画のように流れ、意識が戻った後に、
行う事、起きる出来事がデジャヴになぞらえているというものです。
デジャヴには脳の誤認によるものだという科学的論拠があるようです。
それでも僕は、デジャヴとは遠い宇宙のどこかにある
自分と同じ量子とのシンクロによるものだと思っています。
「脳の誤認」これが時間という存在があるのでは
と思うようになったきっかけです。

僕は最近夢日記を書いています。
目が覚めた時、見た夢の記憶が消えない内に書きとめるというやり方です。
夢日記を書いていると、
少しづつ夢を見ている無意識が、意識に近くなってきます。
そうなってくると、夢日記に記した夢のストーリーは
全て目が覚める直前に見ているものだと気付きました。
他にも違う夢を見ているという感覚はあるのですが、
思い出せるのは一つのストーリーだけ。
それらは目覚めの要因(尿意だったら水、朝日だったら光)
に関係しているのです。
起きる直前というのは時間にして一分もないでしょう。
ですが夢のストーリーはとても長いものに感じられます。
これはデジャヴの科学的論拠である、0.0何秒前に見た映像に対する
脳の誤認と似ていると思いました。
デジャヴを見たとき、なんだか懐かしい感じがします。
ですが、それが0.0何秒前に見た映像ならば脳の中には時間に対する
明確な感覚がないという事ではないでしょうか。
時間に対する感覚の揺らぎは、脳の中にしか時間がないのではなく、
この世の中にあるものなのではないか、そう思ったのです。

意識の深度によって時間の感覚は大きく狂います。
物質世界の因果関係のように、この世界には時間という概念が
存在しているのではないでしょうか。
それは空間なのか、それとも明確な何かなのかは分かりません。
時間は創作において、とても重要な存在です。
その時間とは空間を構成している何かなのかも知れません。
だから創作はこの世界という空間で行うものなのかも知れません。



                                                      

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