創作への雑考 pt.2
Date : 2015.07.07 / Author:吉川 工
人間の創作とは一体どのようなものを指すのか考えてみようと思う。
作品という観点から考えれば、これは、絵画、文章、彫刻、
詩、等々といった様々な形態はあるが、それらは全ていわゆる
芸術的作品というカテゴリーに分類されると思う。
だが、私自身、創作というものの根源には人間特有の
意味付けや解読といった知的活動が関わっていると考える為、
芸術的な創作というものは、もっと後天的なものであり
本来の創作というものは人間以外の動物にはみられない人間だけの
生命活動に見られると思うのである。
では、それは何か?
他の動物は行わず、人間だけが行うものの中に記録というものがある。
この記録というものは科学、哲学の両面において
非常に大きなキーワードとなるものである。
まず科学的な面に置ける役割とは天候や農耕、または狩猟、
建造物や道具の設計、食物、医療等といった生活における
多方面の進化につながるものである。
そして哲学面においては、感情、情動、疑問といった
思考を残す事によって新たな考え、理論を生み出し、
精神面を進化させる事につながる。
では人間が記録を行わない場合を考えてみよう。
記録がない場合、全ては現象のみとなる。
全ては自然というサイクルの中で人知のおよばない、
偶発性のものばかりであり、人は生かされるだけの生き物である。
記録というものは動物の中でもぜい弱な人間が生き残る為に
本能的に始めたものであるのかも知れない。
記録は現象を残すだけでなく、現象に対する思いも残すものである。
人は記録をする事で認知を増やし、恐怖の数を少なくしていく。
人間とは精神の生き物である為、常に肉体を超えた欲求が存在している。
つまり肉体を超えた強大なものに対しても欲求が生まれる為、
それをコントロールしようとするのである。
記録とはそのような欲求がさせたものであるのかも知れない。
人が始めて行った創作とは記録であると考える。
記録というものは肉体を超えた欲求がさせたものであるのなら
創作の根源は人間特有の意味付け、解読であるという
私の考えとつじつまも合う。
完成された意識、欲求とそれを満たし得ない未熟な肉体の人間が持つ
空想というものは物理という絶対的な摂理を超えようとする。
何故人間だけが記録をするのかを考えれば、
人間というものは持つ空想、無限の欲求からであると納得がいく。
人は対象を観察し、記録する事で対策、攻略法を練るのである。
どうすればそれをクリアすることができるか?
人はカルマという生まれ持った役割に服従することはない。
2本の腕と足を使って、空を飛び、海を泳ごうとする。
爪も牙もない体で生態系の頂点に立とうとする。
この超越しようとする飽くなき欲求が知覚を生み、記録をし、
創作へとつながるのではないか?