THIRTY THREE RECORD

創作への雑考 pt.3

Date : 2015.07.07 / Author:吉川 工

とりとめもなく考える行為は創作であろうか?
私は何かをつくるという行為は、作品という明確な何かを
作るというものだけに限られたものではないと考える。
つまり、人生の中では人が人生を楽しもうとする営み全てを
創作と言えるのではないかと考えるため、思考というものも
創作の一環ではないかと思うのだ。
だが、ただ何かを思考するだけでは創作とは言えない。
ただ思考するだけなら、それは呼吸と同じだからだ。

しかしこういう考えもある。
「生命というのは、地球が作る芸術である」と。
つまり生きるという生命活動そのものが宇宙の創作活動の一つなのだ。
では、その考えを基に、創作とは何なのかを考えてみよう。

生きるという事も、作品を作るという事も、
全てが創作であるというのなら、
生きとし生けるもの全てが芸術家であるという事になる。
そのような考えは、ある意味、真理であると思う。

実際に全ての命がそのように考えていたのなら、命は他の命を敬愛し、
命はその存在証明を大いに表現しようとするであろう。
だが現在の世界はそうではない。
生命活動と芸術は完全に分断されており、
命はより強い命に搾取されるだけのものとなっている。
では何故そのようになってしまったのだろうか?
私が思うに、それは芸術が宗教に操られた事が原因ではないだろうか?

キリスト教は、芸術というものは神を描くためのものであると、
芸術家に神を表現させ、有力な作品を作ったものには名誉を与えた。
それによって芸術家は神格化される。
この時点で市民と芸術家の間には明確な境界線が生まれる事にある。
これは私の憶測ではあるが、芸術家が神格化される事で優劣が生まれ、
宗教に関係しないものは下等と見なされてしまったのではないだろうか?
宗教というものは人間の感受性が生み出したものであろう。
だが一神教というものは不特定多数を統一し、
マインドコントロールする為のシステムでしかないと思うのだ。
一神教というものはあらゆる面において区別をもたらしたのである。

創作というものは人間由来のものであるか?
生命というものが地球の芸術であるなら、
生命活動そのものが創作であるという事だ。

さて、ここで生まれる問題は芸術と創作は違うのかという事だ。
私個人の考えではあるが、創作と芸術とは違うものではなく
創作というものを美的感覚によって進化させようとするものが
芸術というのではないかと思う。
だが、芸術というものの究極の姿は自然であるとされる。
それは自然の造形とは常に人知を超えたものであるからだ。
創作というものは何かを作ろうという意図的なものでしかないのか?
それとも自然のように営みの集大成によるものなのか?
創作が意図的なものであるのなら私の考えとは違う。

そのような視点で考えると創作とは意図的な行為であり、
芸術とは造形美を言う事になる。
創作について考えるにあたって芸術という定義は
切り離せないものである。
何かを思考とするという行為は芸術でも創作でもないが、
その思考を記録するという事は創作であると言えよう。

ではこの記録は芸術ではないのか?
ならば芸術というものについてももう一度考えてみる必要がある。
何かを作るだけの行為は芸術ではないのか?
創作と芸術の間にあるものは一体なにか?

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