THIRTY THREE RECORD

創作への雑考 pt.4

Date : 2015.07.30 / Author:吉川 工

創作と芸術の違いとは一体何であろうか?
私は創作とは生命活動によるものであると考えている。
例えば、動物が作り出した巣を見てみよう。
巣というものはその動物が生きていくのに最も適した形を
作り上げているものである。
人はそれを一種の作品のように感じるものである。

作品というものはある行動の集大成であると考えられる。
作品を作り上げる行為を創作であると言うのならば
それは意図されるものであるが、
意図としないものであっても創作であると言えないのだろうか?

芸術というものを考えると、
それは受け手の捉え方によるものであると考えられる。
それは前述した動物の巣もそうであるが、流木のように
自然による造形もそうだ。
今まで何でもないと思われていたものであっても、
ある者の捉え方により芸術的とされ、
芸術作品として公開された時、
それを見た者は今まで何でもないと思っていたものであっても
芸術的であるという発信者の意図と公開のされ方によって
それが芸術的であると感じてしまうだろう。

逆に、どんなに芸術的であるとされているものであっても
受け手が何も感じなければそれはただの物でしかない。
芸術というものは理解されにくいものであるが、
理解された途端、それは素晴らしいものとして認識されるのである。
過去の芸術家達にも、死んでからその作品が理解された人物は
決して少なくはない。
やはり芸術というものは感受性によるものであると考えられる。

では、芸術というものを感じさせる何かを作り出す、
創作というものはどうか?
意図されない行為もそう呼べるのであろうか?
受ける側に関して言えば、意図されない行動であっても、
その結果が引き起こしたものに対して芸術性を見出すのであれば、
その行為は創作的である。
だが、この当事者に一切の意図がない場合、
その行為の最中は一体何であると言えるのか?
何かを成した時にその行いが創作であると言えるのであれば
創作とは結果によるものという事になる。

創作という物は意図しない生命活動でもあり、
意図として行われるものでもあり、
その行為の結果を見て受け手が感じるものでもある。
このように考えると、創作というものは
森羅万象の全てという事になってしまう。
では創作というものが森羅万象の全てであると考えられるのなら、
この世の中で創作ではない物はなにか?
意図のない行為の瞬間は創作ではないと思う。
だが行為の集大成が作品であるのならば行為の瞬間も
創作の一環という事になる。
この考えを繰り返すと、私は問う事しかできなくなってしまう。
受け手がそこに少しでも何かを感じるのなら
それは創作であると言える。

では犯罪はどうか?
罪を犯し、改心をし、その者が新しい人生を送るのならば、
それは創作的と言える。
だが、その者が数人の命を奪い、死刑に処された場合はどうか?
弱者を陵辱し、その果てに自害した者はどうか?
精神異常となり自害したものは?暴行は?

このように考えていくと、やはり意図というものが
大きく関わってくるように思う。
意図のないものを創作と呼ぶ事はできると思うが、
創作という意図ではない何かしらの意図がある行為は
創作とは言い難く、後は受け手の感じ方によるものではないか。

私自身は死に様も生き様も作品だと思う。
だがそこにいたるまでの全てが創作であるとは思わない。
人間に関して言える事だが、生の集大成は作品であるか?
それにいたるまでの創作という意図のない行為は
創作であるとは言えないと思う。

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