創作への雑考 pt.8
Date : 2016.02.16 / Author:吉川 工
想念を紡ぐ行為は創作であるか?
言葉にしないというのは逃げのように感じてしまう。
耳から入る空間をどのように変換するか?
ここに存在している全てには力が働いている。
そしてその力は影響し合っている。
速度と意識は関係している。
意識の介在しているものを嫌うのは、
理性の生み出したものがジェノサイドだからだ。
太陽をしばらく見ていないと地球にいる事を忘れてしまう。
無力という事についても考える必要がある。
連続して吐き出す事によって少しづつ輪郭が
見えてくるものだ。
輪郭が見えてきたら、それをとらえる。
そして浮き彫りにしていく。
だが見えたと思った輪郭は、実は違うものであった場合は
どうするのか?
先ず違うものをとらえてしまう原因は焦りだろう。
ではそうなった場合どうすれば良いのか?
ようやくつかんだものを手離すというのはとても難しい。
だがこのつかんだものを離すという行為に
芸術の醍醐味がある。
フリーフォール(自由落下)について考えてみよう。
フリーフォールとはトリップ、トランスにおいて
あるべき姿である。
落下する為には飛び下りる必要がある。
飛び下りるというのは意図的なものであるが、
フリーフォールの落下している最中は意図しない状態である。
意図しない、つまり意図しえないものを望むのは
それが超自然的であるからだ。
創作して作り出したものが意図を超えたとき、
人は感動する。
これは自然が空や海や大地を生み出すのと
同じであるのかも知れない。
例えば、極限を超える為に叫んでみる。
震動によって声帯は切れ、血の味がする。
発声は段々ノイズになってくる。
このノイズというのは一つのヒントである。
ノイズというのは雑音であるが、これは音の混沌であり、
形状が認識を超えた状態ではないだろうか?
規則を破壊する法則を生み出すというのは神と言える。
この神とは超自然である。
ある芸術家の言葉で
「手を抜く事はできない。神が見ているから」という言葉がある。
つまり創作とは神との対話なのである。
なぜなら、何かを生み出すというのは神の行いだからだ。
すぐれた作品を生み出す者が崇められるのはその為だろう。
命の形は無数にある。
正義も悪も天使も悪魔も優しさも憎しみもたくさんある。
作品は無生命ではない。
作品は生きている為、進化も退化もする。
作品は作者の魂が宿り、その魂は作者と連動しており、
作者の精神状態が大きく作用する。
だが芸術というのは受け手の感じ方というものである為、
それがどういうものであるかというのは判断できるものではない。
だからとにかく生み出している。
生み出したものが理解を超え、
驚異となるのはとても良い状態である。
芸術家の使命とは非現実を生み出すものだと私は考える。
それは現実の本当の姿を誰も知らないからである。
私が一人の女性と性交為をしている時、
どこかでは誰かが誰かを殺しているし、
私自身、周囲の現実か何なのか分からない。
今も宇宙のどこかでは巨大な爆発が起きている。
私がオルガズムに達するのも、命が死ぬのも、
生まれるのも、爆発が起きるのも同じ事だ。
だが感情は客観につとめる事ができない。
創作、芸術というのは人間に対して作用するものである。
何かを作るというのも爆発だ。
宇宙の爆発は無音で冷たい。
静かで冷たい巨大な爆発。
認知を超える出来事は超現実なのだ。
それをどう表現するか、というのは技術、手法の問題である。
今日が終わるという事、人を思うという事、
痛みに耐えるという事、文字を書くという事、
呼吸する事、涙する事、
こういった事を忠実に表現する事ができれば一つの生命が生まれる。
これを宇宙創生という。
宇宙を作り出すという事は神である。
全ての命は命を生み出す神である。
(これは新興宗教ではありませんよ)