情熱の証明
Date : 2025.10.10/ Author:Yawn of sleepy
友人がジャズを聴き始めるそうだ
彼はかなりの音楽フリークだがジャズは聴いていなかった
参考になるかと2,3お勧めしようとしたがこうだ
「おそらくおまえは500枚は聴いていない、本当は1000枚と言いたい」
「それなら多少嫌でもレコ屋やブート屋のジジイの話を聞きに行く」
ここで私は「なるほど」と思った
彼は”蓄積に対する信頼”を持っている
結果と過程に基準が向けられていて
つまり数百枚を聴けるということは”情熱の証明”だ
楽しみなディナー前に試食しない、みたいなものなのか
オススメ○選みたいなものも観ないように気をつけているらしい
人物と蓄積の見極めが難しい状況で情報だけを漁ることは
たしかに本質的な意味でロスが多い
“本質的な意味”とは質高い音楽体験や学びに対する欲求だ
それらはコミュニケーションによって得られるものではない
という理解感があって、個々の”培い”を念頭にすることは必然
リスニングという主題について
“つながり”みたいなものや”人と切り離された情報”を軸としていない
安定、安心感、潔さ、爽やかさを感じた
いくらプロだアマだ、音楽が好きだ、詳しいだと言ってみても
肝心なのは個々の情熱、個々の感じとる力だ
それらを証明するものは顔に書いてあるくらい明白で
実はそう幾つもない
“培い”とは高めるものではなく高まるもの
そして先人たちは皆、孤高の人じゃないか
ほとんどのミュージシャンだって業界人だって本当はわかってること
音楽の神様だってタジタジのこの時代に
つながりでなにかを得ようとか音楽を知ろう聴こうなんざ意味がないよ
1人で探し見つけ感じられないままでは、高まりを持ち寄れる道理がない
それよりも私たちには個々集中すべきモチーフが広大にある
意識高い系なんて揶揄言葉があったけど
大切なものに対する意識なんて高い方が良いに決まっている
預金残高みたいなもので見せるもんじゃないけども
あってあり過ぎるなんてことは大抵ない
共有を試みるということは
情報そのものを扱うことよりももう少し奥深いもので
発見、相互理解には個々の土台が不可欠だ
大切に音楽を探し、大切にその時間を楽しみにしている友人の
リスニングスタンスにある豊かさに静かに感動した
当たり前もいつか当たり前ではなくなったりするものだな
変わらぬ声が聞けてハッピーだ
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年内に1,2枚のセレクトを目指しているとのこと
聴くまでに数ヶ月の準備という新しい音楽への慎重さ
ラグタイムから辿るかとの話も出ていた
(彼は戦前のブルースについても大得意だ)
当然ビッグビルブルーンジーの話になって
だとするとスーザやニューオリンズスタイルから始めるべきなのか、と
最初の数枚、ミスるかもなあ
最初の数枚は肝心だけどそうでもないこともある
10代,20代に数千円を握って神保町や新宿へ通い
ミスチョイスで笑い合った時間が役にたつかもなあ
けどあれだけ慎重だったら良いとこから入るかもな
そしたら羨ましいかも
で、あともう少しでおれも500ジャズはいくだろうから
なんだと、よし聴いてみようと新しく思わせてもらった
そういう意味でも音楽、つながりでさんざん聴いてきてるんですけどね
ま、まずは「最近なに聴いてるの?」から始まって
今はこんな風にやってるよというお決まりの話題
大した話でないこともあるけれど
心が動いた今回のこと、書いておこうと思います