THIRTY THREE RECORD

創作への雑考 pt.17

Date : 2016.05.30 / Author:吉川 工

何かをつきつめていくと、必ずパラドクスが生じてしまう。
このパラドクスとは、一つの問いに対する
相反する答えの事を指す。
パラドクスを矛盾だと否定するか、
それとも、これこそが必然性であると肯定するかで、
その者のスタンスが大きく変わってくる。
私は想像の具現化、表現方法として、
ヒップホップ、ラップというスタイルを選んでいる。
このスタイルにはディスという表現方法があり、
それは己の考えや、信念、哲学
(それらは主にヒップホップに捧げられるもの)に
反する者やそのスタイルを攻撃、否定するものである。
このディスは、己の信念を打ち出す事により、
それを、より強固なものにする事と、そのディスによって
ビーフ(もめ事、ケンカ)を起こし、
否定されるスタイルを淘汰させ、
ヒップホップをよりピュアなものへと
精製するという目的がある。
このディスで重要な事は、己のスタイルと相反する
攻撃対象が存在しなければ、己のスタイルの主張が成り立たず、
攻撃対象(それは権力の横暴や搾取といったものではなく)が
いる事で、それが反面教師となり、
己のスタイルを錬磨させる事に
つながるという認識を持つ事である。
これは至らないものに対する愛である。

圧政やジェノサイド、人種差別はその限りではない。
なぜ、そうする事が必要であるかというと、
ヒップホップというものは争いをなくし、
暴力ではない主張を求めて生み出されたスタイルであるからだ。
もしも、ヒップホップのディスが憎しみによるものであれば、
ビーフで生み出されるのは悲しみだけである。
ディスするうえで重要な事は、ヒップホップの敬愛精神にのっとり、
エンターテイメントする事だ。
歌詩、ライムの中で、そうではないと思うものに対し、
己の信念を主張し、鼓舞させるのである。
そして否定をしたならば代替案を提示する。
そうする事によって、主張が現実味をおび、
あるべき姿へと導いていく。
ヒップホップマインドは拒絶をしない。
否定されるものも許容し、生まれ変わらせるのだ。

これはヒップホップの伝統である、サンプリングの賜物だ。
このスタイルは、日本神道の和をもって尊しとする精神に
酷似している。
パラドクスを切り捨てる事は二元論に陥り、視野を狭くさせる。
芸術の究極が神のもの、自然、宇宙であるのならば、
それはパラドクス同士のバランスで成り立っている。
パラドクスに対するパラドクスには答えが隠れている。
パラドクスを生み出し、それを許容していくと、
やがてループ、流転する。
ある一つの事柄が一周して、二周目をむかえた時、
不思議な感覚が生まれる。
流転するものというのは同軌道内で進化していくものである。
同じ事をただ繰り返す事と、ループさせる事は違う。
流転、同軌道内において進化するという事にも、
当然パラドクスが生じてくるわけだが、
何故、私がそこにこだわるのかというと、
人は不可能を可能にしようとする生き物であり、
芸術とは、そのような人間特有の魔術的、呪術的行いである為、
全てのものは変わり、やがて終わるという万物の摂理に対し、
終わらないもの、変わらないものを求め、
さらに、その中で進化という変化をするという
究極体を目指そうという、
永遠なる夢があるのではないかと考えるからだ。
変わろうとしない事には信念が必要である。
だがそれは、停滞ではない。
行為は進化する必要がある。
何故なら、それを行うのが人間だからだ。
やがて来る、私の死という一つの終わりの後に、
私が残してきたものが死後、新たな形で流転する事を私は望んでいる。
人が子を残そうとする、DNAの本能もここにあるのではないだろうか。
そうする事で、遺伝子は生き続ける。
思念は不死を手にするのだ。
何かを記録し、残すという事には、
私という命、存在の証明を残す事である。
そして、それは必ず流転すると信じている。

                                                      

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