THIRTY THREE RECORD

創作への雑考 pt.21

Date : 2016.08.03 / Author:吉川 工

何かを創るという事について考えようとする事は、
何かを創る事への第一歩であると思います。
つまり、この文章こそが僕の創作となる、
全ての根源というわけです。
pt.20は2015年12月31日に一年の締めくくりとして、
独白という形で書きました。
その時、僕は重大な事に気付いたのです。
今までは文章内の一人称を「私」とし、
文面もあまり感情を表さない、かたいものにしてきました。
ですが、僕はそのような言葉運びで思考しているわけではない。
普段は自分の事を「俺」と呼んでいるし、
どちらかといえば冗談を言って笑ってる方が好きだ。
だったらこの創作の原初となりえる文章を、
遠い誰かの書いた書物のような文面にしようとする事は、
間違っているのではないだろうか?
僕が僕であるという事が創作の全てであるのならば、
この文章は書いている自分にとっても、
読んでいる貴方にとっても
「僕」でなければいけないのではないか?
僕というものは、
ふと振り向いたらそこにいるような存在であるはずだと
思うようになりました。

そんな事を考えている時、ある雑誌の存在を知りました。
それはSANE MAGAZINEという雑誌で、
僕がスタンスや心構え等の教えを乞い、敬愛しているSmokeeさんの
盟友であるK6さんが発行しているものです。
SANE MAGAZINEをめくった1ページにピカソの言葉が
書いてありました。
「Every act of creation is first an act of destruction.」
僕はその言葉を読み、大事な事に気付かされました。
創作とは、言葉としては何かを創り出す行為ではあるが、
その始まりとなるのは、
どれだけ既存のものを破壊できるかにあるという事です。

僕は文面にこだわる事で、作り上げるのみという、
産業主義的な創作を行っていたのだと思います。
それは虚飾です。
空を覆い隠し、夜空をギラギラと照らし、
宇宙の輝きをかすませる、都市の電光です。
ならば僕のするべき事は破壊という創造行為です。
破壊と創造には常にバランスとタイミングが重要とされます。
破壊だけでは何も生まず、創り続けるだけでは
真理は埋もれてしまいます。
(ここで真理とは?という疑問が生まれましたが、
今はこの話しを破壊せずに続けようと思います。)
何を変えたくて創作するのか?
繰り返すだけで刺激のない単調な日々なのか?
憧れに近付きたいのか?
充実が欲しいからか?
既存の作品に対する怒りか?
その衝動は喜怒哀楽、様々だと思います。
ですが、そのようなものであっても、
何かを一から創り出す為にはゼロとなる土台が必要なのです。
科学的に正確な無というものが解明されていないように、
完全なるゼロというものは、僕達有限からなる世界の中には
存在し得ません。
自分が未知だと思っているものでも、
世界からすれば既知のものです。
新しいと思われるものも何かのリヴァイヴァルです。
ですが、この時、この瞬間に、
この地球上で唯一人しかいない自分が創り出すものは、
紛れもないゼロから生まれたものなのです。
僕はそう思います。

サンプリングという創作スタイルは、
正統をうたう人達からは邪道であると揶揄されます。
ですが、正統をうたう人達が
オリジナルだとするものであったとしても、
それが作られる元となるイマジネーションをもたらした頭脳内には
様々な記憶があり、その記憶の断片が引き金となっているのです。
この世の全ては連動しています。
空のはるか彼方のオリオンも全ては素粒子によってつながっています。
サンプリングというのはそういった真理を示しています。
(ここで真理という言葉に行き着きました。
真理という言葉を一度区切り、意図せずに話しを続ける事で行き着く、
破壊と創造です。)
サンプリングにおいて重要とされるのは、
どれだけ既存のものを破壊し、全く違うものにできるかです。
既存のマテリアルがなんなのか、全く分からなくなればなる程、
サンプリング冥利につきるのです。
そして元となるものが何かを知り、僕達は感嘆します。
サンプリングは破壊し続ける事が創作行為なのです。
そう考えると怒りや悲しみも創作という行為は、
やがて驚きや喜びへと昇華させるエンターテイメントだと思います。
どれだけ分解できるか?


(※割愛、削除箇所あり)
                                                      

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