創作への雑考 pt.29
Date : 2017.02.06 / Author:吉川 工
創作とはイマジネーションによるものです。
イマジネーションは、ただの想像だけを表すのではなく、
閃きも含まれていると思います。
そのエネルギーとは衝動です。
人を創作へと向かわせるイマジネーション。
このイマジネーションは人間の思考、精神によって生み出される為、
その人の環境や記憶に影響されます。
イマジネーションの元となる物は個人によって千差万別なのですが
(現代社会のようにパブリックという一つの巨大勢力によって
情報統制が進んでしまうと、そのパブリックに生きる個人が影響を受ける
環境に存在しているものも画一化されてしまいますが、、、)
その中には社会性や宗教といった、理性の生み出した文明も含まれます。
芸術はそのような文明を拒みます。
何故なら、社会、宗教、法律、常識という人間の理性が生み出したものは
差別や戦争(一国が利益の為に行う略奪)へとつながったからです。
ダダイズムやシュールレアリスムはそんな理性の生み出したものを否定し、
意識的なものの介在しないイマジネーションを求めました。
それによって自動書記、瞑想、催眠、ダブルイメージ、カットアップ
といった様々な手法による創作が行われました。
意識を否定する意識、
意識を失くそうとする意識とは一体どのようなものか。
それを説明するのは難しいのですが、一つだけ、
誰にでも分かる例えがあります。
それは睡眠です。
睡眠とは意識的に無意識状態に向かう行為です。
人間は眠る事で夢を見ます。
沢山の芸術家達が、この夢という無意識で行われる
イマジネーションの状態を求めて創作を続けています。
夢は意識にある理性的なものに左右されません。
夢は無邪気な混沌を生み出します。
以前、僕が毎晩夢日記をつけている事をお話させて頂きました。
夢日記を続けていく内に僕はある事を思いました。
「夢を見ているのは一体何なのだろう」
夢を見た事は誰にでもあると思うので分かると思うのですが、
夢の大半は見たという記憶、感覚はあっても、目が覚めると、
それがどのようなものであったかを忘れてしまいます。
覚えている夢であっても、その内容は目覚めている時のような
意識的な思考、選択によって作られているのではなく、
まるで映画を見ているように自動的に流れていくものです。
忘れてしまうという事は、目覚めている時のような
意識的なものではないからだと思います。
この目覚めている時の意識を
顕著意識(一人称で現象を経験できる個人の主観のこと)と言います。
その他に人間には無意識と潜在意識があります。
かの有名な精神分析家であるジークムント・フロイトは、
自我、超自我と言いました。
フロイトの夢診断によりますと、夢を見ているのは無意識であり、
夢は潜在意識からもたらされるものであるそうです。
夢は感触は残っても、明確な記憶が残らない
無意識状態が見ているものです。
夢には願望や自己充足の具現化的映像化がなされているのだそうです。
夢日記を続けていると、夢は一見とりとめのない
不規則なものに感じられますが、その一つ一つの事象を見ていくと、
目覚めている時、つまり、顕著意識が思っていた事、
見た事とつながりがある事に気付きます。
また、夢で見た事象から「自分はこんな事を思っていたのか」
と気付かされる事もあります。
この意識の層の境界はどこにあるのでしょうか?
芸術とはこの境界を超えた所で一切を排した、
自分と自分(神)との間で生まれるものです。
意識の深度が芸術の純度を左右するのならば、
僕達はそれについて深く考える必要があります。
意識を無意識へと向かわせるものは、睡眠の他に、集中があります。
集中は意識の境界を超える事ができます。