創作への雑考 pt.33
Date : 2017.10.06 / Author:吉川 工
ある日、こんな夢を見ました。
僕はある集団の中に居ます。
その集団は同じ志、目的を持った同志達です。
集団は輪を作り、その中心には黄色い球体のようなものが浮いています。
球体は黄色い布を何枚も重ねた巾着袋のような形をしていて、
すぼまった口のような所から、重なった何枚もの布が
イソギンチャクのようにユラユラと揺れています。
球体の口が揺れる度に、僕の意識の中に言葉が生まれました。
僕はその言葉が球体の意識である事を知っています。
つまりテレパシーですね。
球体はこう言っていました。
「お前達は即興にできる限りの情熱をかたむけろ。
そうする事に何の依存もないはずだ。」
球体から送られてきたテレパシーは、僕一人だけでなく、
集団の一人一人にも送られているようで、集団が皆、
球体の言葉に同意しているのを僕は感じました。
球体の言葉は続きます。
「即興に意味はない。あるのは現象だ。
現象とはエネルギーだ。エネルギーを操れ。」
操れという言葉の所で、球体のすぼまった口からユラユラと揺れる
何枚もの布のようなものが広がり、
裏返るように球体自体を包み、また新たな球体となります。
球体は「操れ」とテレパシーを送る度に、
うごめくように何度も裏返ります。
その度にユラユラと揺れる布は、
まるで蠕動運動をする蛇の腹のようでした。
その姿を見つめる僕の目から涙がこぼれます。
僕は震える声で球体に言いました。
「私は今までフリースタイルをしていただけです。
なのに、こんなに素晴らしい仲間に巡り合えて幸せです。」
僕の震える声の振動に合わせるように球体は「操れ」
という言葉を繰り返しながら、何度も裏返ります。
僕の目からこぼれた涙が足元に落ち、弾けました。
僕はそこで目が覚めるのです。
目が覚めるとそこは常夜灯にぼんやりと照らされた部屋の中でした。
窓の向こうに見える空は墨を塗ったように黒く、
静まり返った室内は冬の冷気のように張り詰めていました。
体を少し動かしただけで布が擦れる音が狭い室内に響きます。
僕は夢の中で流した涙と、出会えて良かった球体に説明した仲間、
つまり僕の周りにいた集団の事を思い出しました。
僕はそれが33RECORDである事をすぐに理解しました。
33RECORDは瞬間に起きる現象に情熱を傾けています。
それは即興です。
即興において、アーティストは嘘をつく事が出来ません。
電気信号が流れるミキサーの向こうに、
電気信号が音になってヘッドフォンから自身の鼓膜を震わし、届く、
心の奥に嘘をつく事ができません。
即興に即興を重ね合わせると、想像し得なかった化学反応が生まれます。
それは同時演奏ではなく、多重録音なので時間軸は
流れる一本の矢としてしか存在しません。
さらに33RECORDでは録音した即興データを、
切ったり貼り付けたりと加工します。
これは神の領域に近いと僕は思っています。
トンネル効果により、無の中にあらわれた素粒子は、加速膨張を始め、
インフレーションをして、相転移を起こしビックバンとなります。
ビックバンで素粒子が結合し、中間子、陽子、中性子が生まれ、
それらが原子核を形成し、電子を取り込み、原子が生まれるように、
無音の中に突如として生み出す無意識的な即興の第一音は、
自分の中の記憶とか情報とか、環境などによって
二音、三音と連鎖していきます。
全ては力のベクトルが生み出した、必然の中での偶発なのです。
ありとあらゆる可能性が含まれた中で起きる一つの現象。
その現象を起こす元となるのが最初の一撃です。
それはこう呼ばれています。
"A Strike of The God"
これは唯振り下ろされる為だけにある一撃です。
33RECORDはその偶然を加工するのです。
僕は前述した通り、ただフリースタイルを続けてきただけです。
それは即興でのラップです。
ラップを始めたのは少年院を出てからでした。
僕は少年院の中で、出院したら何をすれば良いのだろうか
と悩んでいました。
そんな時、突然ラップをやろうと思いついたのです。
何故、あの時そんな事を思ったのか、今なら少し分かる気がします。
少年院という檻の中では、虚飾は通用しません。
いくら地位や名声があろうと、財産があろうと、素裸にさせられ、
頭を丸められ、同じ服を着て、同じ飯を食います。
一切の価値を没収され、最後に残るのはパーソナルマインドだけです。
このパーソナルマインドは
今まで生きてきた自分の人生によってのみ作られるものです。
つまり、その者の人間性全てです。
どんなに口先を並べても、付け焼き刃の知識をひけらかしても
メッキはすぐに剥がれます。
自分らしくとかそういったものでもありません。
何を見てきたのか、何を聞き、何をして、何を思ってきたのか。
そういった記憶が自分というものの奥で
結晶化されていなければならないのです。
この何者も汚す事のできない結晶こそが、
ヒップホップを生み出したブラックプライドなのではないでしょうか。
自身に対する呪いも、怒りも、不条理も最後は己の血に抗えません。
この皮膚を、肉を、骨を、記憶を受け入れるしかないのです。
このような精神状態に至るのは、普段の生活では中々ありません。
少年院といった檻の中はヒップホップの元素となる
パーソナルマインドに気付かされる環境なのです。
パーソナルマインドに気付いた者が皆、
ヒップホップをやるわけではありません。
ですが、パーソナルマインドに気付き得ない者に
ヒップホップはできません。
パーソナルマインドは晒し続ける事で輝きを増します。
この晒すという行為が即興プレイ、
インプロヴィゼイションやフリースタイルなのです。
しかし僕はヒップホップとはフリースタイルだと
言いたいわけではありません。
ですがアーティストとは、この瞬間を生きる命の躍動であり、
この瞬間が一番輝くのです。
アーティストは常に現在進行形でなければならないのです。
ここまで書いて、自分はなんと崇高な意志の元に
フリースタイルをしてきたのだろうと思いますが、
僕がフリースタイルをやり続けてきたのは、
こんな大層な理由ではありません。
理由は二つあります。
まず一つは、とんでもなく気持ちが良いからです。
頭で考えるよりも早く、感覚のみで突っ走っていく疾走感が
たまらなく気持ち良いのです。
そして二つ目は、僕はいつも既存の曲を覚える事もせず、
さらに打ち合わせをしなかったからです。
でもそれだけではダメなんですね。
あるDJにこんな事を言われました。
「フリースタイルがスゴイのは素晴らしいけど、
やはり楽曲を持っていないとその日ヤバイ奴だけで終わってしまう。」
全くその通りだと思います。
33RECORDは現象を記録します。
むしろ記録する為に現象を起こしているといっても過言ではありません。
無の中に突如としてあらわれた素粒子が
宇宙を創り出していく様子を記録しているのです。
そこにはできるだけ感情のような人間味は介在させないようにします。
感情的でも無感情でもないのです。
そこに導きはあるのでしょうか。
閃きが導きだと思う事は多々ありますが、、、。
さて、僕は閉鎖された環境下で自身のパーソナルマインドと
向き合わざるを得ない状態に強制的になってしまい、
自身の行いや過去を何度も振り返りました。
こういった行為は全て文章に表しながら行いました。
自身のパーソナルを文章化する事、そして檻の中で唯一の娯楽である読書
(文章に触れる事)
さらに檻の中にいるという事、つまり罪を犯している、
法に反しているという事。
これらが結合すると原子が生まれるように、
ヒップホップ(特にラップ)が生まれやすくなると僕は考えています。
法に反するという事は社会の通念から外れている、
または外れようとしている(例えそれが理由なきものであっても)
という事です。
これは現代社会という戦勝国によって作られた
正義とかルールに対して疑問を生み出します。
僕の場合は、社会への疑問から戦争を知る事となり、
この世界は一番最初に侵略をして、
沢山人を殺した国が作ってるんだと知りました。
犯罪が直接ヒップホップと関係しているというのは間違いです。
それはヒップホップ、イコール、マトモに社会の道を歩けない奴らの戯言だ
という概念を植え付けようとする、パブリックサイドの考え方です。
この世界が元々こうで、生まれた時からマクドナルドや
キリスト教が正解だと思ってるような奴らは
何故テロが起きて、貧困があって差別があるのかを考えようとしません。
全て一つの悪として一括りにするのです。
この日本という国の中で日本人である限り人種差別には会いません。
生まれや育ちに対する偏見はあれど、それが人権を脅かす事はありません。
日本国民には同等の権利があります。
誰もが、このシステムの中で自立する事ができます。
ですが人間には心があり、
その心がこのシステムに組みする事を拒絶します。
心とは非合理的なものです。
アートとは、この非合理的なものから生まれます。
心がある為に、人は不安や疑問や憂鬱を抱きます。
それはやがて怒りに変わります。
この怒りは社会に対し、環境や境遇に対し、
そして自分に対するものであり、行き場を探して彷徨います。
ですがこの日本では、そんな怒りと向き合う事も、
その怒りをどのように昇華させれば良いのかも教えてくれません。
僕が抱いていた怒りは、檻の中で、自分と向き合い文章化していくうちに
ヒップホップ、ラップへと生まれ変わりました。
怒りが希望になったのです。
非行や、経験や、情報や、自身の声をメロディーにとらわれず、
パンチを打ち込むように連打できるラップには、ほんの少しのルール
(それは無形なるものを有形なるものへとする為のもの)しかありません。
楽器も知識も要らず、ノートとペンで今すぐに作る事ができました。
唯の穏やかな海の中では、DNAは生まれなかったが、
海に激しい波が生じた事でDNAが生まれるように、
檻の中という全ての身ぐるみを剥がされて、
己に向き合わざるを得なくなった罪人に文学性がプラスされると、
ヒップホップ、ラップが生まれやすくなるのかなと僕は思うのです。
つまり、ラッパーには経験と知識と罪が必要なのです。
この罪とは単なる犯罪とは違います。
では、この罪とは一体何なのでしょう。
一つ考えられるのは、反社会的、アンチシステム的な考えを
罪と呼ぶのではないかという事です。
その場合の罪とは、あくまで相対的なものでしかありません。
物理的には手錠をかけられる事があっても、
それは僕が今まで犯してきた罪とは違います。
最近のラップをする人達に、この要素はあるのでしょうか。
ギャングスタラップが生き残るのは悪いからではありません。
自分の信念の元に戦っているからです。
ギャングスタもサグも悪い人達ではありません。
それはとてもピュアな姿なのです。
不純なものとは、唯の虚飾で中身のないものです。
そういった表面的なギャングスタやサグ(コスプレ的な)は悪い人達です。
僕の創作の源泉はピュアなヒップホップ、ラップです。
(僕は決して、ギャングスタでもサグでもありません。
そんなタフにサヴァイヴァルはできないと思います。)
こうして書いている文章も、僕が生きるという表現の全ては、
ヒップホップ、ラップから始まっています。
僕の中で生まれた有なるものは高分子を形成し、僕というパーソナル、
アイデンティティを取り込んで、
ヒップホップ、ラップという生命を生み出しました。